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「天草独立戦記」梶尾真治先生の書評が載りました
2011年02月1日
(熊本日日新聞 平成23年1月30日 朝刊より)
「タイトルのニュアンスから、天草四郎が登場する島原の乱のような連想を持たれたのではないだろうか。ある意味ではそうだ。実は本作の舞台は過去ではない。近未来なのだ。そして小説のジャンルとしてはSFと呼ぶべきだと私は思った。それは次の理由だ。
私もSFを書くのだが、SFの面白さのエッセンスは、センス・オブ・ワンダーだと信じている。現実を踏まえて一歩ずつ、「もしも」を重ねていくのだ。そうするとほんの一歩だけしか現実と違わなくても、とんでもない世界を構築して読者を驚かせることになる。それは論理的なアクロバットを伴った想像の牙城でありSFの面白さの真骨頂でもある。
それからセンス・オブ・ワンダーのもう一つの面白い側面に、如何に大法螺(おおぼら)が吹けているか、というものもある。あまりの突拍子もない法螺を聞かされ「そんな馬鹿な」と首をひねる。しかし詳細を知るに従い、なるほどと納得してしまう。そんな欺かれる快感。その法螺が凄(すさ)まじいほど、SFとしての評価は高くなる。本作にはそんなパワーも備わっている。
本作は2043年の初夏にアメリカ大統領が天草を訪問する場面からスタートする。法螺話としての掴(つか)みは、OKなのである。
そして天草が理想郷として化していく経過が描かれることになるのだが。細部については、自分の手で本を開き、確認していただきたい。
SFが苦手だとおっしゃる方も、その心配は無用だ。私たちに馴染(なじ)み深い天草の風土の中で奇想天外な物語が進んでいくから、実にビジュアルに浮かんでくるわけだ。そして、会話の多い文体はテンポよく読み進められる。なにより、先が気になって本書を閉じることができなくなることを保証する。やはり熊本人が本書を読むことは、想像力の補助線を伸ばす脳内作業を有利にしてくれる気がしてならない。そして、なによりのことがある。私は後味の悪い小説は大嫌いだ。だが、本作には心地用意読後感が待っている。そして身近な場所としての天草に出かけてみたいと思わせてくれる。本作に登場した場所を再確認してみたいと。」
評・梶尾真治(作家)
(熊本日日新聞23年1月30日 朝刊より引用)





